モチベーションをあげたいという嘘をいつまで信じますか?
実はモチベーションなんて存在しないんです。
結局、慣れる
モチベーションが高いとは、新しいことを始める時、何もかも目新しくて興奮している状態です。
この状態は長くは続きません。せいぜい3日間ぐらいが限界です。
いずれマンネリ化して、つまらなくなって冷めてしまうのが普通。
これが「モチベーションが下がった」と錯覚する構造です。
なので最初から仕事に対するモチベーションが高かったわけではありません。
常に新しいことで脳に刺激を与える
あたらしい環境ではいろんな事を考えたり行動したりしなくてはなりません。その最中はモチベーションが上がっていると脳は勘違いするものです。
そして、その環境にある程度慣れていくと、自然と下がっていく。
遊園地でも初めて体験するアトラクションは興奮するけど、慣れてきますよね。
今の職場がつまらないから転職しても、また転職した先で慣れてくるとつまらなくなる。
常にモチベーションを上げていこうというのは無理な話なんです。
モチベーションが下がるとは?
それに相反して、モチベーションが下がるのは「良くないこと」という解釈こそが間違っています。
毎日ワクワクできる生活が理想で、ワクワクできない生活は駄目みたいなことは決してない。
ワクワクしていても、していなくても、実は普通ではない状態です。
どういうことかというと、刺激がある毎日が普通で、刺激もなにもないのが良くないことという認識はよくありません。
なので、モチベーションが下がっている状態が悪い事という認識は捨てましょう。
石は刺激のこと、池はあなたの人生
池に石を投げ込むと波紋が立ちますよね?これが刺激がある状態です。
でも波紋はそのうち消えていきます。新しい環境に慣れて、波がおさまった状態からがスタートなんです。
このフラットな状態で、さてどうするか。
モチベーションが高い状態がいいという認識は、子供の頃から影響をうけた漫画やテレビなどによるもの。
興奮すること、わくわくすることが素晴らしいことという間違ったメッセージを発するものが非常に多い。
漫画やテレビが悪いというわけではなく、そうした興奮を得られるものが正しくて、そうじゃないものは良くないという認識は、一種の興奮剤みたいなものです。
知らないうちにそう思わされてしまうのが良くありません。毎日が変化し刺激ある無理な生活を求めていては、普通の生活に耐えられなくなってしまいます。
普通の生活という基準もそれぞれですが、変化変化!刺激刺激!興奮興奮!の毎日はおくれるわけがないのに、それらが得られなくなった瞬間、ドン!とモチベーションが下がったかのように感じてしまう。
むしろ興奮状態から日常になったから良いことなのだけど、なかなかこれに気づかない。
でもなにも刺激がないのはつまらないもの。
新しい環境、家族がいて、仕事もあって給料も贅沢はできないけどそこそこ足りている。
でも刺激がほしいのもわかるが、刺激にも慣れる。慣れるとまたそれ以上の刺激じゃないと興奮しない。
このループは人間が壊れる道です。
刺激がないのが悪いことという認識ではなく、刺激がある状態こそ非日常で長くは続かないということです。
見るべきは手が届く範囲の目標
例えば、仕事で大きなプロジェクトを任されたとします。
大きな目標に向かって「やるぞ!がんばろう!」というのは素晴らしいですが、行動に落とし込むと地道なことをやっていくしかありません。
データを入力する。書類を1枚作るなど。
ここでつまらなくなって仕事をやめてしまう。なぜこうなってしまうのか。
入社して何年も経って、プロジェクトも負担なくこなせるようになってきたら、もう少し自分に負荷をかけてみましょう。これが興奮材料となってモチベーションが下がったと感じる状態を回避できます。
結局は周りではなく、自分で自分に刺激を与えなければならない。
新入社員の時は会社にモチベーションを与えてもらっていたが、これからは刺激を求め始めたら、自分で自分に与える必要があるんですね。
自分に与える刺激は派手である必要はない
一日単位でも、一週間単位でもいいので、仕事にちょっとした変化を加えるということです。難しく聞こえますがとてもカンタンなことです。
- 外に出たら3回深呼吸する
- 出勤途中で買うコーヒーを紅茶にしてみる
- 相手の目を見て「おはよう」と言ってみる
こうしたことで良いのです。
生活では
- 朝の歯磨きを左手を使ってみる
- 昼休みに本を5ページ読んでみる
- 上司から嫌なことを言われても心で「ありがとう」と言ってみる
- 帰宅途中で家族が喜ぶようなお菓子を買って帰る
など、ちょっとした変化を加える。毎日に変化がないと感じる原因は、自分から行動しないから。
今までは職場が刺激を与えてくれていたけど、慣れてくると自分で刺激を作っていくと良いと思います。
刺激を感じなくなったときこそ、ひきこもると良い
刺激を感じなくなったときこそ自分に向き合うことが重要です。
刺激が得られなくなった時は、もう仕事も慣れている時期。この時に、自分が今持っているスキルをさらに磨く必要があります。
周りに合わせて時代の変化について勉強しない人と、新しい生活様式を敏感にキャッチし、これから将来どういう方向に向かうか、そのためには今なにをすべきか思考して行動する人とは、将来雲泥の差がついてきます。要するにチャンスを掴めなくなるということ。
毎日ただただ時間を消費する生活をしている人は、チャンスが目の前に来ても気づきません。
常に自分を高めている人はチャンスに気づくことができ、さらに掴むことができるスキルをすでに手にできています。
新しい仕事、転職もそうかも知れません。マニアックに自分に向き合って、誰もやらないようなこと、バカにするようなことをニッチに続けていくといいですよ。
自分にしかないスキルを磨く時期。自分を深める開拓を続けると、まわりの声は気にならなくなります。
これが物や経験で得られる喜びより、よっぽど贅沢な暮らし方なのだと思いますね。
周りが与えてくれる刺激を待っていても仕方がない
仕事を与えられたら興奮し、それが済んだらやることがない不安に襲われる。つまらなくなる。
誰かがプレゼントをくれるんじゃないか、モチベーションを上げてくれるんじゃないか。
刺激、変化、興奮、モチベーション、そんな物は一切関係ありません。
自分オリジナルの技はかならずあるので、そこまで自分に向き合ったらいい。なので、どんな人も実はクリエイターであり、職人でもあります。
自分に関心を持つ。そうしないと、いくら環境を変えて転職したり引っ越したりしても、常につまらない状態になります。
外からの刺激は必要だけど、それに頼っていては成長できない
成長できないからまた外の刺激に頼るしかなくなる。永遠にさまよってしまう。
お客さんや会社のためではなく、まずは自分を高めることで、お客さんにも会社にも必要としてもらえる。
この順番を意識しましょう。
一見意味のないことこそ、周りと差別化できる強力なスキルとなるんですよ。刺激が得られなくなった時に、自分を掘り下げなかった人は、永遠と外からの刺激に振り回されるんです。
気づいた今から行動しよう
なんとなく仕事はあるし、給料はもらえるしという状態は停滞ではなく「衰退」だと思います。
格差社会という言葉が流行っていますが、これは「知識・経験・行動の格差」であり、その延長線上に経済的格差が生まれます。
自分が自分の人生を作っていくし、自分がリーダーで人生の決定者です。
まわりはどうでも良い。自分は孤独に自分を掘り下げ開拓しましょう。自分だけ面白い人になれば、気づけば周りからの刺激はどうでもよくなります。頭一つ抜きん出る存在になれば、人生は自在に進んで行けます。
自分がおもしろければそれで良いのですよ。