ボクは美術館が好きで、たまに「物思いにふけるため」に、ふらっと足を運ぶ。
後日、まわりに美術館へ行った話をすると、よくこうした言葉が返ってくる。
「絵とか解らないから美術館とか行かない。」
お決まりのように「美術=難しい=理解不能」のテンプレが返ってくる。
うーん、なんと勿体無いことか。。
美術館を何か特別なもののように思っているのかもしれない。
「美術?よくわからない」でじゅうぶん
ボクは大学で美術専攻だったが、美術を理解できたかといえば、理解できない。
美術学というものは存在するが、結局ひとりの人間が主観で描いたその作品に共感できなければ「ふ〜ん」くらいのもの。
あなたはピカソの絵画がなんで評価が高いか理解できますか?
ゴッホのひまわりは?モネの睡蓮は?
そうした作品はわかる人がわかれば良い世界、知ったかぶりでその世界に入る必要もないので
「わからない」
で良いと思う。ボクも作品の良さはよくわからない人間のひとりだし、これからも多分わからないまま死んでいくと思う。
「この作者はこういう生い立ちで、この作品が誕生した理由は〜」などと説明されても、そもそも興味のない作品の作者なんて、さらに興味がない。
美術作品とは「理解する」という概念がそもそも通用しない。
さらに言えば、答えなんて無く、探す必要もなく、、
何が言いたいかというと、理解ではなく「感覚」の部分に価値がある。
作品とはそういったものだと思います。
美術館じゃなくても良い
「衣・食・住」は人間にとって必要なものだが、美術は必要かといえばそうでもなく、「衣・食・住・美」なんて、どこかの売れない雑誌タイトルのようなことにはならない。
例えば家の中に絵画がないと夜も眠れない、なんてことはまずないだろう。実は美術作品とは、そのくらいあってもなくても良いものなのだ。
「じゃあなんで美術館へ行くの?」
と思われるが、この記事の一行目に戻ってもらいたい。
「物思いにふけるため」と書いた。
要するに、作品にはあまり関心がなく、その「空間」が好きなのだ。
弱点回避のため
突然ですが、ボクの弱点は
・音(声)
・光
・におい
この3つ。
これらのストレスを受けない場所はどこかと考えた結論、美術館になった。
美術館は基本、大きな音は似合わない。
仮に音をテーマにした作品といっても、「水の音」だったり「虫の声」だったりの、小さな一瞬みたいなイメージではないか?
そもそも騒ぐような人は美術館へはあまり来ないし、車の音もないし、突然草刈り機のエンジン音もならないので、山より良かったりする。
光に関しても、美術館は作品を見てもらうために柔らかい光を使っていたり、特に絵画作品は薄暗いところに展示されていたりする。
まさかミラーボールなんて回っていません。
においも、アロマのようなテーマはあっても、基本やさしいにおい。やはり刺激臭のようなテーマはあまり似合わない。
全体的に作品に悪影響がないように換気もしており、空気もキレイ。カフェも併設されていたりするので、これらを踏まえても「物思いにふける」にはとても良い環境なのです。
美術館は思考を整理する場所
というわけで、ボクが美術館行く理由は、過ごしやすい空間でボーッとする。
ただこれだけです。
「入館料を払って、もったいない」という意見もありますが、ボクの捉え方は、空間を借りる、レンタルスペース的な感覚です。
落ち着ける自宅以外に、環境を変えて落ち着ける場として、美術館は好きですね。